ストレス
 ストレスを考える こんた治療院

 今回の治療の窓のお話は、ストレスについてです。ストレスと一口に言っても実はいったい何の事なのか?そしてストレスはその個人の受け取り方によって大きく変わってくる事に着目し、ほんの少しでも前向きに考える事はできないのか等を考えていきたいと思います。
  私自身も、この目に見えない得体の知れないストレスにもちろん困惑した事もありますし、他人から見れば何だそんな事と思われる内容であったと思います。いま冷静にその時の状況から分析すると、自分から見ても小さい事であったと認識しています。
 ではなぜそのような事をストレスとして受けとめてしまったのか…、をまずは初めに考えて行きましょう。

 この執筆のきっかけは、1通の相談メールです。

 私の所に1通の相談メールが届きました。相談者は学生です。その中で彼女がよくわからないと言う問題がありました。それが今回のテーマ、“ストレス”です。
 彼女は 疾病を診察に病院へ行く度に、ストレスでしょうと医師から言われ、日頃から疑問に思っていました。そんな彼女は日がかさむにつれ、ストレスという言葉がいかに実体のない、まぎらわしいものであるか疑問になり、私にメールをくれる前にはすでに多大な問題になっていました。文面からの判断ですが、そういう彼女は聡明で、どこにでもいる活発な学生だと私は感じています。
 私は「そうだよね、ストレスという言葉はあるけど、実際には自分のストレスって何の事かわからないよね。」と書いた時に、彼女は少し安心したと書いています。私たちが日頃使っている、ストレスという言葉の意味を考えて行く事も、治療にとっては大切だと思い始めました。私個人の考える現代の日本のストレスとはどんなものなのか、興味を持って読んでいただけたらと思います。もちろん私も日頃からストレスって何だろう?と思っている1人です。

 現代語訳日本語版ストレス?

 というわけで、私は学者でもその筋の論者でもなく、1人の治療家としてこの現代におけるストレスを自分なりに考えてみたいと思います。ここでいうストレスは主にストレッサーと呼ばれる要因を含めたものの言い方です。私がまだ学生の頃は、ストレスとストレッサーの区別をしていました。ストレッサーとはストレスを起こす因子の事ですが、現在ではあまり口語上の区別をしなくなってきていますので、これを含めた総称としてストレスという言葉を私は使いたいと思います。

 現代では精神的ストレスが主体でしょ?

 私たち多くの人がいつも問題視するのは、精神的ストレスがその大半をしめています。これを単に“ストレス”と呼んでいる現状では、とりもなおさず現代用語理解の解釈をしておかなければなりません。そこで今回、私の使うストレスも精神的ストレスと解釈していただきたいと思います。

 このコンテンツの主な内容

1. 人がストレスを受ける時
2. ストレスに区別があるのか?
3. ストレスへの感受性
4. 性格とストレスの感受性は?
 (1)ストレスの感受性の違いにより、
    他人には自分のストレスを理解できないのか?
 (2)他人だからこそお互いに「理解を深める努力」を無意識にする 。
5. ストレスがひき起こす変化
6. 理想的な精神スタイルを取り戻せ!
7.おまけ!

  1. 人がストレスを受ける時 <konta版>

 Aさんにストレスが加わってもAさんは以外と今回の事に関しては前向きに学習しておこうという気持ちで受け入れてしまいました。


 Bさんは今回のストレスは過去に経験済みで、なんなくスルーして問題とはなりませんでした。


 Cさんはストレスに対して反応が著しく、ストレスを処理する能力(準備や経験)が現在のところ満足に発揮できていません。過去の経験もあり、気持ちの整理に時間がかかりそうです。しかしDさんのようにいずれクリアができ、前進できます。


 DさんはCさんと同様の反応をしたが、短時間にてクリアできた。この後はA,Bさんの様になる可能性が大です。

 私の考えるところによると、この様なパターンが主に考えられるのですが、この4つのパターンは同一人物にも同じようにして起こると考えています。Dさんを10日前の自分と置き換えて考えて、現在はその問題にたいしてはAさんの様になっていると考える事も出来ます。またストレスに対して全くの無反応というパターンも存在すると思います。それを加えると5つのパターンができあがりますが、ここでは何らかの反応を示す場合を取り上げています。

 2. ストレスに区別があるのか?

 ストレスは必要なものかといえば、私はもちろん必要なものと答えます。外からの刺激があってこそ、私たちは内から外へと力を広げる事ができるものと考えているからです。ではストレスの中には区別があるのでしょうか?私はストレスには区別がないと思います。むしろ区別があるのはストレスを感受する側の私達にこそ、区別があるのだと思います。区別と書きましたが、ここでは条件と環境と言い直したいと思います。
 この条件と環境は私たちの現在のこころの状態とも言えます。では、こころの状態が悪い時にストレスを受けて、こころの状態の良い時にストレスは受けないか?というと、そんなことはありません。つまりストレスを感受するこころの状態にあれば、どんな時にでもストレスとして私たちは認識するということです。

 3. ストレスへの感受性

 上記の図からもわかるとうり、同じストレスを受けても人によっても違いが生じたり、また同一人物でもその時の心の状態によってもストレスの処理方法が違ってきます。そして自分が受けたストレスをどう処理するかによって、自分にとってのストレスの善悪が決定してくるものと考えられます。
  自分にとってのストレスの善悪決定は、ストレスの感受性として私は考えたいと思います。具体例をあげて、ここで言う感受性とは何かを考察したいと思います。
  「何だか今日はイライラしているな〜っ」「気分が沈んでいるんだよね」などと、どちらかというと精神状態では、他人に干渉されたくないという時で、この時はストレスへの感受性が高まっているといえる状況です。
  逆に自分自ら「遊びに行こうよ!」「お願いがあるんだけど、相談にのってくれる?」という時には、他人を受け入れるためにこころを開き、自分自らが積極的になっています。この時にはストレスへの感受性は非常に低く、少々きついジョークにも笑って対応できます。ストレスの感受性の高い時ならば、「私を怒らせるつもりなのか!」「なんでそんなひどい事平気で言うの?」などと大変な事になりかねない問題です。
 このようにストレスに感受性の高い時と低い時によって、同じ人間でもストレスの処理の仕方がずいぶんと変わる事は、みんなが経験している事だと思います。
 例えば、私たちは仕事のストレスがたまるなどといいますが、ある時には自分を労(ねぎら)う意味で使い、ある時にはそれが嫌でたまらない意味で問題となります。これはその時のストレスの感受性の違いによってストレスをどう処理できるかが変わった為です。これによりストレスを善玉に変えるか、悪玉に変えるかは同じ人間でも、その時の感受性によって変化が出るという事です。

  4. 性格とストレスの感受性は?

 誰もが精神的ストレスに悩まされ続けると、もしや自分の性格がストレスを感受し易いのか?と考えてしまいますが、性格との関係はあるのでしょうか?
  このストレスの感受性は相対的なものと私は考えています。結論から言えば性格とは関係ないといえます。どんな性格の人でも自分なりのストレスの感受性は持っていますし、処理の方法も異なってきます。ですからストレスの処理の方法も千差万別であるわけです。短気、のんき、積極的、消極的など性格に限らずストレスに感受する事は性格とは関係が無いといえます。
  逆にいえば、「あの性格だから、ストレスを受け易いんだ!」と他人に向かって発言する事は非常に乱暴であるという事です。どんな人にもストレスを感受する可能性があるという事ですから、もし自分の性格を疑っている人がいるとすれば、他人も相対的に自分なりのストレスを感受するんだと考えましょう。
 また自分自身だけがストレスを受けやすいと考えるのも、この事からどうか?と思います。皆それぞれのストレスの感受性の違いによりストレスは受けていると言う事がわかります。

 (1)ストレスの感受性の違いにより、他人には自分のストレスは理解できない?

 ストレスの感受性は個人によって大きく違いを見せる事は、解っていただけたと思いますが、実際に他人の受けているストレスの感受性を理解できるのか?と考えるとそれは100%を占める理解は無理だと言えます。民族や習慣の違い、生まれた環境によってもストレスの感受性は違いを見せます。では本当に理解できないのでしょうか?
 私たちは日頃、人と人との関係には特殊な意味を持っています。例えば親兄弟の様な血縁関係などは、明確なつながりを持っています。では友人はどんなつながりを持っているでしょうか?結婚相手は?恋人は?と考えるとその関係は、もとはあかの他人ですね。しかし、この他人との結びつきを考える事で、ストレスの感受性の理解を解明して行くポイントがありそうです。

 (2)他人だからこそお互いに、 「理解を深める努力」を無意識にする?

 私たちは、その努力を無意識に行っています。その努力とは人と人との関係を結びつける努力です。この様な無意識的に行われている努力こそ、感受性を理解するためには必要と感じます。事実、ストレスを感じている人の多くに、今の自分のストレスを他人に処理してもらおうとは思っていないと思います。自分が直面しているストレスは、自分が変化しないと問題の解決にならないと知っているからです。しかし、そのストレスを誰かに打ち明けたり、そのストレスを聞く事によって、お互いの新しい結びつきが生まれてきます。その結びつきが、勇気や愛や友情や優しさとなって、ストレスを解決する自分へのエネルギーとなる事も忘れてはいけません。
  この様に考えてゆくと、自分のストレスを認識してもらえる人がいることが、なんともこころ強い存在になってきます。もちろん私の仕事であるこの治療も、疾病とともに宿るストレスがあるとすれば、それを認識して、少しでも心強い存在になれる努力を治療家としてしなければと思います。その点は諸先輩方には、まだまだ未熟者だと笑われてしまいますが…。
 話をもどすと、他人としてはそのストレスを感受している人のストレスを理解する事も大切ですが、実際にはストレスを感受しているんだという認識を持つ事で充分に相手に伝わるものがあると思います。その伝わるものは一方的なものでなく、お互いに有益になるものに変わって行くもので、目に見えないものですが、人と人との結びつきを確かなものに変えて行こうとする無意識的な努力に相当するものであると思います。 私たちはそれを、ある時に勇気という言葉を使ったり、友情という言葉を使って表現したり、信頼という言葉でお互いを支えあったりして表現するものに相当するものだと私は思っています。

 5. ストレスがひき起こす変化

 ストレスによって私たちの身体は大きく変化をする事は、医学的にも証明が進んできました。例えば風邪等の問題にもこのストレスの話が出てきます。ストレスにより免疫細胞であるT細胞の現象により、風邪にかかり易くなるといった事は、昨今は皆さんも知識としてお持ちになっています。また更年期の問題や自律神経系の問題でも、神経の緊張の変化により身体の変調を訴えてきます。
 この様に具体的に身体に変化を生じさせてくるものなのに、その実体が一体どこから来ているものか解らなくなると、決まって選ばれる言葉が「ストレスからでしょう」という言葉です。言われた当の本人は、まず具体的に自分の身体の疲労について考え始めます。自分の身体の疲労させる原因は何なのか?それが自分のストレスの実体なのでは?と考えて行く事はほとんどの人の考える事でしょう。そして「ストレス解消」という言葉を提示されると、具体的にどう解消すればいいのか?と思う事しかりです。それもそのはず、ストレスなんて具体的でなく、実体のないものに対してのお薬と同じ意味を持つ明確な解消方法などはそう簡単に見つかるものではありません。
 ストレスによって身体では、精神的にも肉体的にもある種の「緊張」を見せてきます。この緊張状況はもちろん長くは持続できません。筋肉であれば凝った感じから、脱力感へと変化して行きます。精神的には張り詰めた状況から、落胆したやる気のない状況に変化して行きます。緊張感から脱力感へ移行すると、事体は悪化傾向になります。
  例えば、ギターの弦は調律が調ったままにしておくと、弦が伸びて再度絞めなければ調律が出来ません。そのうちに弦自体が良い音を出す領域を越えて伸びてしまい、限界をこえると弦は切れてしまいます。その為に、ギターを使わない時には弦をゆるめ、その都度使用する時に弦を調律した方が、弦が長もちして良い音を出してくれます。ギターの弦もその時その場所において、気候や温度、湿度の影響により硬くなったり柔らかくなったりしますので、まるで生き物の様な感じさえ受けます。ましてやギターそのものも、そういった気候や温度、湿度に敏感ですから、ギターと弦はその場その場において良い音を出す為には、こうした演奏者の細かい配慮によって調律が行われてゆくものであると思います。始めからきつく絞められた弦では、この様な微調整が出来にくい事がお解りだと思います。
 この様な例えを物事の道理とするならば、私たちのストレスからの身体の変化も同じように、あまり長い緊張状態を続けているとその本来の良い緊張状態を発揮する事はできません。必要な時にその緊張状態を高めて、普段は柔軟な安定感を保てるという事が理想的なスタイルであると誰もが感じているはずですし、ストレスで悩んでいる人は1日も早く取り戻したい「本来の自分の姿」です。

 6. 理想的な精神スタイルを取り戻せ!

 ストレスを意識し過ぎるとかえって自分自身が過敏になるという事があります。あまり深く考え過ぎるな!と言いたいところですが、私自身も物事を掘り下げて考える事もしばしばあります。自分自身にはこれが善玉ストレスなのか、悪玉ストレスなのかは解らない事が多いものです。もしかしたらストレスは自分で勝手に作って、勝手に解消するものなのではないか?などと思ってきました。
  私はストレスは自分自身が作り出した目に見えないものであると考えていて、その解決策は“自分自身が一番よく解っている事”と“自分が向い合って乗り越えてこそストレスが消える物”だと思っています。べつに物質的な物が消えるとか、手に入るとかというものではないと思っています。そして処方できるお薬として、“ストレスと向い合った自分の経過を自分で誉める事”が一番ではないだろうか?私は昨今この様に思います。
 すると、ストレスを上手に処理できている時には、上記のアンダーラインの内容が満たされていると思います。日頃からそうありたいものです。それにしても、本当にストレスは勝手なものです。簡単に作られて、こんだけ自分に影響を与えて、精神的にも肉体的にも疲労困憊です。そういう私も、自分を大切に思わないと思わぬ落とし穴にはまってしまいそうです。
 私たち日本人の多くは、“一生懸命”とか“努力”などという言葉が大好きです。私たちの生活の中にもこの様な言葉がたくさん出てきます。その上、他人に厳しく自分に甘いと思う人が多いこと。そんな中、まじめに自分に厳しい人は、自分を追い込みすぎることも多い様ですが、もしそんな人も今回の文章を読んでいただいて、参考になったらいいなと思います。
 子供はしかるばかりでは育たない、誉める事で更に成長し、のばす事ができるものです。当然、大人も同じだと思います。大人になると自分は誰に誉めらて、成長するのでしょうか?気がつくとそこには自分しかいないこともあります。ならば思いっきり自分で自分を誉めてあげましょう。

 まとめ

 私が今回、ストレスを考えたところ、「ストレスの感受性」という事にすごく興味を持ちました。なぜなら今日を生きる私たちは、明日は何が起きるかわからないのと同じく、ストレスもいつどこでどのように自分に影響するのかなどわからない、数日前には気にならない事でも、今日はすごく気になる存在になっていたりとその変化に大変興味を持ったからです。
  そんな雲をつかむ様なえたいの知れないストレスなのに、メールをくれた彼女は原因はストレスですと言われ、いったいストレスって何なのかしら?と疑問を持つのは当然です。ならばいっそ原因不明ですと言ってもらった方がわかりやすいのだと思います。無闇矢鱈にストレスを乱用する事で、不安要素を作り出すのはどうかと感じました。現代では「ストレス」というものも、立派な原因になるとするならば、それに対する教育と改善の方法もこれからは必要ではないのかとも感じました。
 また「お疲れさま」「御苦労様でした」などという労をねぎらう言葉は、時にはストレスを解除してくれる呪文の様に聞こえます。昔からこのように、私たちは言葉によっても癒されてきていることも忘れてはいけないと感じました。私はなぜか、小学校の時にもらった、あの“良くがんばりました”のマークが好きです。なかなか“大へん良くできました”はなかなか貰えませんでしたから。(笑)

 私の治療家としての仕事も、対話やふれあいの中から皆さんのストレスを除去する事に協力できたらいいなと考えております。また皆さんの御意見や御相談メールなどありましたら、お寄せ下さいませ。

おまけ!
 名前:ストレス
<ストレス族?属?すとれす課?科?>
 
身長、体重

自分の身長と同じ、体重も自身の体重と同じ

性質

無味無臭?音もしない?たまに言い訳の材料になる?

生息地

地球?自分の目の前?頭の中?

感染経路

耳から?目から?どこでもドアから?

特効薬

お誉めの言葉:ほめると勝手に溶けてなくなる

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